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● 南無唯除佛

     (品切れ中・CD-ROM版検討中)
   大島義男著(本山 教師修練指導)
   本文201頁 B5判 ケース付き 税込定価3,500円

 日本でも(当然、世界的にもと言うべきか)『仏説無量寿経』の第18願の「唯除文」について語る者は、非常に稀である。その「唯除文」に果敢にチャレンジしたのが、若き日の大島義男であった。今ある彼の原型がここにある。
 いったい、「唯除文」について、誰がここまで踏み込んで思索したであろうか。
 仮立舎は、「唯除文」に関しての数少ない書物として、ここに出版を決意し、グループ学習の雑誌として『雲集 第四十五号 別冊』の表題であったものを、復刻し、『南無唯除佛』として単行本にして発行した。「唯除文」に関心のある方々には、ぜひともお薦めする本であり、お読みになった方には、たっぷりと課題が与えられるという、実に厄介な本ではある。
 「唯除文」を抜きにした「第十八願」では、王本願にはならぬ。しかし「唯除文」に触れるのは、これまた恐い。さて、どうする。

 「仮立舎」は超ミニ出版社であり、資金力は乏しい。しかし、出版せねばならぬものは出版する。これほど「唯除文」に関しての本質的な思索をしたものは、他からは得られぬと確信する。だからこそ、「仮立舎」において出版せねばならぬ。「仮立舎」の「意気がり」を嗤う者もあるだろう。だが、この『南無唯除佛』を読んでから、それでも、嗤えるなら嗤えばいい。



(雑誌『一行』2004年1月号後記より抜粋)
    いよいよ これから
 成果という言葉が妥当なのかどうかは判らないが、1月20日に待望(?)の『南無唯除佛』が出来てきた。『雲集 第四十五号 別冊』が単行本『南無唯除佛』として復刻したものである。当然著者である大島さんに「原稿料」を「現物支給」としてお送り申し上げたのであるが、「当分見たくない」とのことで、はたしていつご覧になるかは判らないが、27日の例会では必ず見ることになるだろう。
 なぜ年初めの時期にこの本を出したのか、このことを書かせていただきたい。
 一つは、この原稿が書かれたのが「1月28日」であったこと。昭和63年のことだから、マル16年前である。それにちなんで1月の発行にした。
 二つには、「仮立舎」を立ち上げたのが平成6年1月。満10年なのである。私は心密かに、「仮立舎」満十周年記念出版のつもりであった。他にはどこにもこのようなことは出していないが、ある面では私と大島さんの「腐れ縁」の縁になっているのが、この『雲集 第四十五号 別冊』であったし、これを単行本にすることで、「仮立舎」を超えて、『南無唯除佛』等を生み出してくるような力が溢れる「一行の会」ということも、改めて世間に投げ掛けてみたいと思っていた。
 三つには、少なくとも真宗大谷派において「唯除文」を取り上げたこのような本があるということを、坊さん世界に知らせたかった。心情として、もっともっと「唯除文」に眼を向けて欲しい、そういうことがあったのだ。「「南無阿弥陀仏」で救われるのか」ということを、あらためて問い返して欲しいということである。そのことは、放り出して勝手にどうぞということではなく、少なくとも私自身があらためてこの『南無唯除佛』を読み、さらに『教行信証』を読んで、何とも手を付けることの難しい「唯除文」に取り組まなければならぬという、私自身へのプレッシャーともしたかったということである。
 そういう三つの背景が出版の裏側にあるわけだが、基本的にはそんな裏側ということはどうでもいいことだろう。いわば、出版物として、売れるかどうか。やはりそのこと自体が問題である。そのことは、別に、「仮立舎」の経済状況の改善という意味ではない。極く限定された宣伝方式でもってこの本は真宗大谷派の寺や「仮立舎」のホームページを見た人によって注文がなされていくのであるが、『南無唯除佛』というわけのわからない書名だけで売れるということはないはずである。やはり、コメントが必要であり、そういうことからはインターネットでの広告は、それなりに意味があるものと思っている。
 そして、「売れる」ということは、「唯除文」への取り組みを志す人が生まれる可能性が大きいということである。そういうことで「出版物として、売れるかどうか。やはりそのこと自体が問題」なのだ。「唯除文」へのアプローチは、未開の分野である。しかも宗門としては手をつけたくない部分であり、敢えてそこに手を付けることが、本当の意味で「教団の活性化」、つまり「門徒一人の活性化」ということになると、私には思われる。
 著者の大島さん自身は、古傷に塩を擦り込まれるような心地がするかもしれないが、その痛みも、少しでも多くの人に「唯除文」に関心を持ち、それに取り組む人が出てくることによってこそ癒されるものであると思う。
 『南無唯除佛』は、真宗における稀なる問題提起の書である思っているのが、「仮立舎」オーナーの考え方としては、大島さんに自ら出した「南無唯除仏」ということへの、より深まる展開を求めている。一つの決着としての『悪弟子の命脈』ということがあるとはいえるが、それとてあらたなスタート台である。まだまだ展開するのが「南無唯除仏」であるという直観は、揺るぎないものである。「「唯除文」を抜きにして真宗が生活と結びつくのか!」という、私の心の底から湧き出てくる叫びみたいなものは、私自身でどうにかコントロールできるものではない。それゆえに、問題提起をした大島さんには、真宗の教学を転換させるような、大きな仕事をして頂きたいと願っている。それゆえに、敢えて古傷に塩を塗り込むようなことをしているのだ。
 当時とは、いろいろな背景が違っているかもしれない。しかしながら、『雲集 第四十五号 別冊』を出したときの情熱は、大島さんには今も脈打っていると思っている。そういう情熱が冷えてしまった「大島義男」なんて、未完成の魅力を失った死骸である。「先生になった大島義男」なんぞは、私には魅力はないのだ。未完成の、野人の、そしてシルクロードのオアシスの喧騒を作り出すような、そういう「大島義男」こそが、「大島義男が顕す、生きるいのち」なのである。
 時代はいよいよ混迷を深めている。そういう中で、状況に振り回されることなく、状況を棄てず、その状況を超えていくということの事実が、「唯除文」と真向かうことではないかと確信する。だから、「いよいよ これから」なのだ。


『南無唯除佛』あとがき 転載

     あとがき

 『雲集』という雑誌は、真宗大谷派の東京教務所が浅草の「東京本願寺」地域内にあり、その建物の中に「東京大谷専修学院」という真宗大谷派の「教育機関」があり、そこに学ぶ者の自主的な発行によるものであった。「自主的な」というのは、その「東京大谷専修学院」で学ぶ者が、学んだこと・聞き取ったことを発表するということで、いわば「未熟者」の発題や疑問点等を中心として、毎月出していたものである。「東京大谷専修学院」は、平成3年3月に、第11期の卒業生を送りだして、本山の決定により廃止となった。
 この「第四十五号」というのは、昭和63年1月の発行であるが、これ以外に1月号が「第四十四号」として出ているものであり、これは通常版である。したがって、雑誌『雲集』が刊行されだしたのは、昭和59年の3月ということになろうか。それまでは、「別冊」というのは無かったようであり、この「第四十五号」は、大島さんが発作的に原稿を書いて作り上げたものである。「発作的」というのは、決して私がオーバーに言っているのではなく、お読みいただければ誰しもがそのように感ずるだろう。六原稿が入っており三人の原稿のように目次では見えるが、この本一冊が丸ごと大島さんの著作である。
 こういう 『雲集 第四十五号 別冊』 という古い雑誌を復刻版で出すことの意義を、いささか申し述べておきたい。
 『仏説無量寿経』の願文の第十八願にある「唯除の文」や『教行信証』「信巻」にでてくる「八番問答」の引文ということは、非常に厄介な文である。通常は、この「唯除の文」を善導大師の「抑止門」の文で受け止めることが大部分であろう。しかしながら、この「抑止門」の意義ということも、なかなか分かりにくい。「抑止門」の原型とも言うべき曇鸞大師の『浄土論註』の「八番問答」も、これも分かりにくい。単純に「勧善懲悪」的な感覚でしか受け止めることができないと、宗祖親鸞の言わんとすることから外れていく。しかし、どのようにして受け止めるのかとなると、これがハッキリしないのである。そのことは、やはり「信巻」全体を通じて「唯除の文」をどのように聞き取るのかということに尽きるであろう。
 浄土真宗にとって非常に重要かつ厄介な「唯除五逆 誹謗正法」に体当たりしたのが、大島さんのこの
  『雲集 第四十五号 別冊』 
である。ここで大島さんはとんでもないことを言い出している。それは「南無唯除仏」ということである。これが出された当時は、大島さんは散々な目にあったらしい。「らしい」というのは、当時私はこの本の存在を知らなかったし、大島さんという人の存在すら知らなかった。私は、この本が出て一年余りしてから東京大谷専修学院に入ったのだからである。それまでは、私は「実業」の世界にいた。その「実業」の世界を落第して東京大谷専修学院に入り、そこで数ヶ月してからこの本の存在を知り、人から貸してもらって読んでびっくり仰天した。むろん、内容が、大島さんの述べていることが判ったということではなく、直感的に「凄いことを言っている」というに過ぎないのだが、同時に、宗教団体の教育機関の教官に属している人が、こんなことを発表できるという「教団そのもの」に驚いたということが大きなことであった。
 『教行信証』が『真宗聖典』(昭和53年に東本願寺出版部から出されたものに限らないが)に含まれて、一般の人や末寺僧侶に学ばれたのは、宗祖親鸞が『教行信証』を遺されて以後の年月を考えれば、「極く最近」ということになろう。そして、視座を「凡夫」において『教行信証』に学ぶとなると、従来の教学からはとても『教行信証』を学びきれないのではないかと思うのは、決して私だけではあるまい。僧俗ともに「門徒」たらんとするならば、『教行信証』に学ぶという意欲を抜かしては、それは教団護持教学という範囲に宗祖親鸞を閉じこめていくことになると思う。教団護持教学を超えて、つまり、教団護持教学を「本山の指し示す教学」という歴史的な事実はあったとしても、もし『教行信証』に学ぶということを欠落させていくならば、「真宗は宗祖親鸞を失う」のである。
 東京大谷専修学院は私が入学してから2年で廃止となり、その後私塾の「雲集学舎」に展開してきたのであるが、これまで私自身もそれらに何らかの形で係わってきた中で、「南無唯除仏」ということは、非常に重要なことであるという確信は、ますます強くなってきた。大島さんには「南無唯除仏」の展開ということを求め続けたきたのであるが、その具体的な形が、当「仮立舎」から出版した『悪人をたのむ』であり『悪弟子の命脈』となってきた。
 平成15年(2003年)において、雲集学舎では宗先生の「『教行信証』再聞」の講義が始まっており、「権化の仁」が詳しく講義され、「転成」が救済であるとまで言われてくると、あらためて「南無唯除仏」を問題にしなければならないと私には思われてきた。それは、「唯除の文」へのアプローチの具体的事例として、いわば唯一の著述が、この 『雲集 第四十五号 別冊』 であると思われるからである。
 もう既に 『雲集 第四十五号 別冊』 をあらたに入手することは不可能になっている。ならば、「仮立舎」として復刻版を出す意義は大きなものがあると自負し、大島さんにとっては辛い記憶が多いこの本の復刻版の発行ということには、なかなか了解を得られなかったのであるが、私のしつっこさが勝利し、ここに復刻版を出すことが出来た。
 しかしながら超零細出版社である「仮立舎」は、今年既に『悪弟子の命脈』を出しており、経済的に余裕はない。したがって一〇〇部の限定出版ということである。そして価格もいささか高くなったことも、少部数ゆえ、お許しいただきたいと思う。
 そして、この復刻版は、まさしく復刻版で、大島さんの手書き原稿をそのままで本にしたものであるから、読みにくさということでは活字の比較にならない。だが、手書き原稿を通じて、かえって大島さんの「熱」が伝わってくるものと確信している。

 『教行信証』に学ぶ方たち、特に「信巻」や「唯除の文」の持つ意義に関心のある方には、是非ともお読みいただきたい本である。

 なお、この本の表紙およびケースにおける書名を、
   南無唯除佛
とした。形式としては雑誌の別冊ではあるが、これを一冊の本として見るときには、そのような書名のほうが相応しいと考えたからであり、既に一部の人の間では、この別冊のことを「南無唯除仏の本」として認知されていることもあるからである。
 この本の題名を書いてくださったのは、真宗大谷派遍立寺住職・朝倉慶夫さんである。最後になって申し訳ないが、あらためて御礼申し上げる。

 2004年1月                      仮立舎代表   大竹 功


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